サナート・クマラとチャネリング

心を軽くして、星へ還る☆

第三十一講義 悪魔の本質 その一


どうもお久しぶりです。

二月に入ってから完全に体調を崩してしまいました。
そのためブログはずっと停止してましたが、調子が戻りつつあるので、また再開します。
もっともまだまだ万全ではないので、休みつつになるかもしれませんが、よろしくお願いします。

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クマラ:ここまでやってきて、まだ学んでいないことがある。

ルシファー:悪魔と人がどう付き合っているか。
 それはまだよくわかっていないだろう。
 それを詳しく教えようじゃないか。

ルシファー:天使の仕事とは、なにかね?

F:法則です。

ルシファー:まぁいいだろう。
 では悪魔の仕事は?

F:え~~、なにしてるんでしょう?

ルシファー:天使/悪魔の分類をこれからも使っていくならば、悪魔をよりくわしく知っておくことは重要だ。

ルシファー:守護天使というものは、確かにいて、人間一人一人を見守っている。しかし、守護悪魔は存在しない。

F:天使と悪魔はよく対比されられますが、守護悪魔はいないのですか?

ルシファー:天使というのは、君達のいる世界より波動の高いところにいるから、人間が上とつながろうとすると自然にある程度自動的に接近する。
 一方、君達人間は、十分下のところに墜ちきっているから、別に悪魔が憑くまでもないわけさ。

ルシファー:例えば、勇気はミカエルに属するとして、なにか勇敢なことをするときにミカエルが関わっているか?もちろん違う。
 なので基本的には悪魔のささやきと呼ばれるような行為はない。
 悪魔だってそんなに暇じゃないのさ。

ルシファー:しかしだ。奇跡があって、それが天使の仕業とするならば、悪魔の仕業ということもまた存在する。
 ここで悪魔の3分類を思い出してみよう。

F:試す者、異教の神、低次の存在ですか。

ルシファー:そうだ。
 まず試す。これは確かによくおこなわれる。
 上を向く人に、おいおいそれでいいのかい?
 まだ未練があるのじゃないかと、問う者は必要だろう?
 それがなければそもそも選択肢というものがなくなってしまうじゃないか。

ルシファー:次に異教の神。これは魔術で悪魔に力を求める場合もそうだ。
 神社に参拝するのだって、キリスト教徒からみれば、悪魔信仰となるのだよ。
 これも、なんらかの力が発揮されることもある。

ルシファー:最後が低次の存在。基本これらの存在は人間には興味が無い。
 しかし、波長が合ってしまうと、そこから関係が生まれ、憑依されたりもする。

ルシファー:基本はこんなところだ。

ルシファー:結局は、虫の分類で害虫と益虫に分けているようなものだ。
 かなり偏見に基づいてね。すべてはこの世界の仕組みであるのだよ。



◇悪魔の本質

F:ここまでは理解が容易い内容ですね。

ルシファー:そうか、ではこのまま高度な話をしようか。
 なぜ、悪魔、いや、悪があると思う?

F:そもそも何をもって悪とするのか。それは一つの概念ではないですか。

ルシファー:いやいや、そんなにばっさり切り捨ててしまってはいけないよ。
 もっと思索を深めようじゃないか
 なぜ人間・生物は苦痛を感じ、さらに自らの欲望で他者を苦しめるのか?
 仮にそれが幻想の世界のことであっても、それは酷いじゃないか。

F:創造主がそれを望んだからでは?

ルシファー:なぜだ?

F:ん~、分離があるから。
 この世界が創造主から切り離されているから。

ルシファー:ぜんぜん違う。

F:・・・体験したいからではないんですか?

ルシファー:そうだよ。

F:えっ、なんだ。

ルシファー:悪魔の本質とは体験なんだよ。
 上にあがる。つまりこの世界から去ろうとする者を引き留めるのが、悪魔だ。
 体験を推奨する存在。それを悪魔としている。

ルシファー:今日はここまでにしようか。



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